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ガウディの創造の源泉を探ります
ガウディはゼロから独創的な建築を創造したわけではありません。ガウディの才能は、西欧建築の歴史、異文化の造形、自然が生み出す形の神秘を貪欲に吸収し、そこから独自の形と法則を生み出したことにあります。「歴史」「自然」「幾何学」の3つのポイントから、ガウディの発想の源泉を探ります。
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サグラダ・ファミリア聖堂の建設のプロセスが明らかに
この聖堂建設プロジェクトは誰の発案ではじまり、その後どう変遷したのか。模型を修正しながら聖堂の形と構造を探ったガウディ独自の制作方法に注目するとともに、140年を超える長い建設の過程でガウディ没後にプロジェクトを引き継いだ人々の創意工夫にも光を当てます。
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総合芸術としてのサグラダ・ファミリア聖堂の豊かな世界をひもときます
ガウディはサグラダ・ファミリア聖堂において、聖書の内容を表現する彫刻の制作に取り組むほか、外観・内観の光と色の効果や、建物の音響効果にも工夫を凝らし、諸芸術を総合する場として聖堂を構想しました。本展では、ガウディの彫刻術にも焦点を当てることで聖堂の豊かな世界に迫ります。
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サグラダ・ファミリア聖堂の壮麗な空間を空中散歩
NHKが撮影した高精細映像やドローン映像を駆使して、肉眼では捉えられない視点で聖堂を散策。ステンドグラスを通過した光が聖堂内を彩る景色の変化も圧巻です。マリアの塔が完成し、いよいよイエスの塔の建設という最終段階に向かうサグラダ・ファミリア聖堂の現在の姿を、最新の映像を通して伝えます。
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- 6月25日、スペインのカタルーニャ地方、タラゴナ県のレウス市に生まれる。
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- バルセロナ県立バルセロナ建築学校(今日のカタルーニャ工科大学建築学部バルセロナ校)に入学。
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建築学校を卒業し、建築家の資格を取得。
この年のパリ万国博覧会に出品した革手袋店ショーケースのデザインが、後にパトロンとなるアウゼビ・グエルに認められる。
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建築学校を卒業し、建築家の資格を取得。
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- サグラダ・ファミリア聖堂起工式。
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サグラダ・ファミリア聖堂の二代目建築家に就任。
*作品:カサ・ビセンス(~1885年)
カサ・ビセンス photo:鳥居徳敏
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サグラダ・ファミリア聖堂の二代目建築家に就任。
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*グエル館(~1890年)
グエル館 ©スペイン政府観光局
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*グエル館(~1890年)
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- バルセロナ万国博覧会開催。
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- グエル館竣工の記事が新聞に掲載され、建築家としての名声を博する。
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「降誕の正面」の全貌が明らかになり、サグラダ・ファミリア聖堂建設への社会的な理解が深まる。
カサ・カルベートがバルセロナ市の第一回建築年間賞を受賞。
*作品:グエル公園(~1914年)
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「降誕の正面」の全貌が明らかになり、サグラダ・ファミリア聖堂建設への社会的な理解が深まる。
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サグラダ・ファミリア聖堂外観完成予想図初公表。
*作品:カサ・ミラ(~1910年)
カサ・ミラ photo:山村健
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サグラダ・ファミリア聖堂外観完成予想図初公表。
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- パリのグラン・パレでガウディ展開催、サグラダ・ファミリア聖堂の模型などが展示される。
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- 他の全ての仕事から手を引き、サグラダ・ファミリア聖堂の建設に専念することを宣言、献金集めに奔走する。
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- パトロンであったグエル他界。
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- スペイン建築家会議がバルセロナで開催。ガウディの功労を称える宣言を採択。
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- 路面電車にはねられ死去。享年73歳。


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ガウディとその時代
ガウディが建築家を志してバルセロナ建築学校で学んだ19世紀の後半は、産業革命とそれに伴う都市人口の急増によって、ヨーロッパの都市がかつてない規模で変貌を遂げた時代にあたります。また、最新の科学技術や世界各地の文化、風俗、建築が一堂に会する万国博覧会が競うように開催された「万博の時代」でもありました。スペインでいち早く産業革命を達成したバルセロナでは、中世的な城壁を壊して都市の規模を拡張するなど近代化が推し進められ、芸術文化の領域でも前衛的なムーブメントが花開きます。この章では、時代が用意した視覚情報や、ガウディが1878年のパリ万博に出品した作品のスケッチなどを紹介しながら、若き日のガウディの活動と時代背景をたどります。
アントニ・ガウディ《クメーリャ革手袋店ショーケース、パリ万国博覧会のためのスケッチ》
1878年、レウス市博物館
ガウディの創造の源泉
ガウディの独創的な建築はどこから生まれてくるのでしょうか。「人間は創造しない。人間は発見し、その発見から出発する」とはガウディの言葉です。その言葉通り、ガウディは古今東西の建築や自然を丹念に研究することから革新的な造形の契機をつかんでいくのです。学生時代のガウディは図書館に通い、当時普及しはじめた写真を通して建築の歴史を吸収しました。またカタルーニャの遺産を発掘して、地域に根差す自分たちのアイデンティティを再発見しようとする組織にも参加しています。さらに「自然は私の師だ」と言うガウディは、徹底した自然観察から造形の原理を引き出し、有機的なフォルムの建築や什器をデザインする他、自然の中に潜む幾何学に注目し、それを建築造形へと応用する合理的精神の持ち主でもありました。本章では「歴史」「自然」「幾何学」の3つのポイントから、ガウディ独自の建築様式の源泉とその展開をたどります。
歴史:建築のオリエンタリズム
アントニ・ガウディ《グエル公園、破砕タイル被覆ピース》
1904年頃、ガウディ記念講座、ETSAB(バルセロナ・デザイン美術館寄託)
© Museu del Disseny de Barcelona
Photo: Guillem Fernández-Huerta自然:生命のフォルム
アントニ・ガウディ《植物スケッチ(サボテン、スイレン、ヤシの木)》
1878 年頃、レウス市博物館自然:大地の浸食造形
カサ・バッリョ内観 ©スペイン政府観光局
アントニ・ガウディ《グエル公園正面の2小館(建築許可申請図)》
1904年 ガウディ記念講座、ETSAB
※滋賀会場のみの出品
© Arxiu EtsaB · Càtedra Gaudí. Universitat Politècnica de Catalunya (UPC)自然:つりあいの法則
(参考図版)ガウディによる逆さ吊り実験 *
幾何学:建築家は幾何学者
ジュアン・マタマラ《ガウディによるニューヨーク大ホテル計画案、平面図と断面図》
1952年、ガウディ記念講座、ETSAB
※滋賀会場のみの出品
© Arxiu EtsaB · Càtedra Gaudí. Universitat Politècnica de Catalunya (UPC) -
サグラダ・ファミリア聖堂の軌跡
ガウディが二代目の建築家に就任したのは1883年のこと。そこから1926年に亡くなるまで、ガウディはサグラダ・ファミリア聖堂の設計と建設に心血を注ぎました。ガウディは図面のみならず、膨大な数の模型を作りそれに修正を加えながら、外観や内部構造を練り上げていきました。このようなガウディ独自の制作方法をアトリエの情景とともに紹介しつつ、残された写真と模型をもとに計画案の変遷を明らかにします。
《サグラダ・ファミリア聖堂、全体模型》2012-23年、
制作:サグラダ・ファミリア聖堂模型室、サグラダ・ファミリア聖堂 *《サグラダ・ファミリア聖堂、身廊部模型》2001-2002年、
制作:サグラダ・ファミリア聖堂模型室、西武文理大学
©西武文理大学/ photo:後藤真樹アントニ・ガウディ《サグラダ・ファミリア聖堂、主身廊円柱の柱頭模型》1918-22年頃、
サグラダ・ファミリア聖堂 *アントニ・ガウディ《サグラダ・ファミリア聖堂、主身廊円柱の柱頭模型》1918-22年頃、
サグラダ・ファミリア聖堂 *サグラダ・ファミリア聖堂内観 *
サグラダ・ファミリア聖堂内観 *
(左)サグラダ・ファミリア聖堂、受難の正門:鐘塔頂華
(右)《 サグラダ・ファミリア聖堂、
降誕の正面:鐘塔頂華の模型》
2005-10年、
制作:サグラダ・ファミリア聖堂模型室
サグラダ・ファミリア聖堂 *(上)サグラダ・ファミリア聖堂、受難の正門:鐘塔頂華
(下)《 サグラダ・ファミリア聖堂、
降誕の正面:鐘塔頂華の模型》
2005-10年、
制作:サグラダ・ファミリア聖堂模型室
サグラダ・ファミリア聖堂 *
アントニ・ガウディ《サグラダ・ファミリア聖堂、降誕の正面:女性の顔の塑像断片》
1898-1900年、サグラダ・ファミリア聖堂 *アントニ・ガウディ《サグラダ・ファミリア聖堂、降誕の正面:女性の顔の塑像断片》
1898-1900年、サグラダ・ファミリア聖堂 *ガウディの没後、スペインの内戦が勅発すると、聖堂の一部は破壊され、図面類は焼失、模型も粉砕されて建設は中断を余儀なくされましたが、ガウディによる備蓄基金をもとに、修復工事と模型の復元が行われて工事は再開。近年ではコンピュータの導入により設計と建設が連動して工事のスピードが早まりました。ガウディ以降の建設の推移を、「降誕の正面」を飾る外尾悦郎と「受難の正面」を飾るJ.M.スビラクスの彫刻を展示しながらたどるとともに、マリアの塔やマルコの塔といった最新の建設事情も紹介します。
ガウディの没後、スペインの内戦が勅発すると、聖堂の一部は破壊され、図面類は焼失、模型も粉砕されて建設は中断を余儀なくされましたが、ガウディによる備蓄基金をもとに、修復工事と模型の復元が行われて工事は再開。近年ではコンピュータの導入により設計と建設が連動して工事のスピードが早まりました。ガウディ以降の建設の推移を、「降誕の正面」を飾る外尾悦郎と「受難の正面」を飾るJ.M.スビラクスの彫刻を展示しながらたどるとともに、マリアの塔やマルコの塔といった最新の建設事情も紹介します。
サグラダ・ファミリア聖堂、降誕の正面
写真提供:株式会社ゼネラルアサヒサグラダ・ファミリア聖堂、降誕の正面
写真提供:株式会社ゼネラルアサヒ外尾悦郎
《サグラダ・ファミリア聖堂、降誕の正面:歌う天使たち》
サグラダ・ファミリア聖堂、降誕の正面に1990-2000に設置、作家蔵
©外尾悦郎 / 写真提供:株式会社ゼネラルアサヒ外尾悦郎
《サグラダ・ファミリア聖堂、降誕の正面:歌う天使たち》
サグラダ・ファミリア聖堂、降誕の正面に1990-2000に設置、作家蔵
©外尾悦郎 / 写真提供:株式会社ゼネラルアサヒサグラダ・ファミリアの現在と未来
サグラダ・ファミリア聖堂の建設は、新型コロナウイルスの影響で一時中断していましたが、2020年の秋には再開。翌年の12月には、聖堂の中央に位置する6つの塔のうち、頂点に星を頂くマリアの塔が完成、続く2022年12月には4つの福音書作家の塔のうち、ルカとマルコの塔が完成しました。建設作業は現在も進んでおり、マタイとヨハネの塔は2023年9月に完成。聖堂中央の最も高い塔となるイエスの塔は2026年までの完成を予定しています。
*はすべて © Fundació Junta Constructora del Temple Expiatori de la Sagrada Família